
創業者・藤原長太郎は18歳で「藤原長太郎商店」を創業し、日本剃刃の製造を開始しました。
兵庫県三木市から全国へと販路を拡大し、千吉ブランドのカミソリは高い評価を得て、福井の問屋にまで取り扱われるようになりました。
「30cm以上の縄は捨てずに再利用せよ」と語る長太郎の姿勢には、物を無駄にせず、誠実に商いを行うという経営哲学が息づいていました。
長男の藤原喜一が入社し、問屋業への取り組みを本格化させました。
販路は中国大陸にまで広がり、事業は着実に成長を続けました。
時代の転換期を迎える中で「藤原産業株式会社」へと法人改組を行い、次の成長に向けて体制を整えました。
終戦直後の復興期には、鋸や鉋、自転車ハンドルの製造に取り組み、時代の求めるものづくりを通じて社会に寄り添いました。
二代目社長として藤原喜一が就任し、製造部門を切り離して卸売専業体制へと舵を切りました。
現場を大切にし、人を育てる経営を心がけながら、全国への展開を着実に広げていきました。
三木市福井への移転、新社屋の建設、貿易部門の設置を実施し、1968年には現本社(三木市末広三丁目)への拠点移転を通じて事業基盤を強化しました。
三代目社長として藤原輝三が就任し、米国視察で出会ったDIY文化に着想を得て設置していた「日曜大工部門」を起点に、当時まだ一般的ではなかった日本のDIY市場にいち早く挑戦し、新たな市場を切り開いていきました。
東京営業所を設置し、首都圏への営業基盤を確立しました。
日本DIY協会の設立に際し、輝三が理事に就任し、業界全体の成長にも尽力しました。
九州・札幌・仙台に営業網を拡大し、地域密着型の営業体制を構築しました。
1987年には四代目社長として藤原勲が就任し、経営体制の整備を進めました。
関東デリバリーセンター(F.K.D.C)と中央物流センターを開設し、物流力の強化と迅速な供給体制の確立を図りました。
皆様のご支援により、藤原産業は創業100周年という大きな節目を迎えることができました。こちらは、その記念として制作した映像です。
この時期には、情報通信の進展や物流体制の強化が進み、そうした環境の変化を追い風にしながら、事業の拡大を着実に進めました。
情報サービスセンターの開設や匠台第1・第2商品センターの稼働などにより、インフラ整備を進めました。
五代目社長として藤原慶三が就任し、「守るべきを守り、変えるべきを変える」という信念のもと、企業体としての進化と再構築に取り組みました。
営業所の支店昇格や新規拠点の開設・移転を進め、関東・中部・九州・北海道を中心に全国ネットワークを強化しました。
東日本地域への供給体制強化と物流効率の向上を図るべく、東日本商品センターの稼働を開始しました。
グループの持続的成長と経営基盤の強化を図るべく、ホールディングス体制への移行を実施しました。
神奈川、鹿児島、金沢、郡山、高松、帯広、水戸、青森、静岡に営業拠点を展開し、より地域に根ざした営業体制を構築してきました。
また、ホールディングス体制の一環として物流事業を新たに立ち上げ、物流の自社完結化を加速しました。2021年には、園芸物流体制の強化を目的として、匠台ガーデンセンターを開設しました。さらに2024年には札幌商品センター、茨城商品センター、九州商品センターを開設し、2025年には小野商品センターを稼働させることで、全国を網羅する物流ネットワークを構築しました。
120年を超える歴史は、創業者・藤原長太郎の信念、歴代社長の挑戦、そしてすべての社員と関係者の尽力によって築かれてきました。
「自分の暮らしは自分の手でつくる」という想いを支えるため、私たちはこれからも生活者のDIYを応援し、世界中の人々の暮らしに寄り添う製品とサービスを提供し続けます。
藤原産業は、変化の激しい時代においてもグループの総合力を最大限に発揮し、運送・営業・商品・情報の各分野を自社内で統合的に運営することによって、次の100年に向けて力強く挑戦を続けます。